無線の思い出 2

昭和54年7月に講習会で電話級に合格し、親に無理を言ってトリオ TS520VとHFのマルチバンドグランドプレーンを買ってもらいました。

戸建住宅の2階の屋根に1mくらいのアルインコの屋根馬を載せ、GPを建てました。
1月ぐらいで、従免が来て、すぐ局免を申請しましたが、局免がきたのは2ケ月後の11月中旬でした。

7メガは、沢山の局がひしめきあっていて、入り込む余地がなさそうなのでパス、28は誰も出ていませんでした。そこでちらほら人が出ている21でCQを出している局がいたのでコールしました。それは、4kmくらい離れた隣の市のJK1NAF局でした。高校1年の秋、昭和54年11月末くらいでしょう。それから早28年、ログは実家のどこかにあるのでしょう。電話級、その後に取った電信級の従免もどこにあるかわかりません。

それから、21メガで隣の野田市の同年代の多くの局と仲良くなり、高校3年の受験シーズンまで、よなよなラグチューしたり、当時コンディションがよかったので、近郊のDX局と交信したりしていました。入賞には、全然及びませんでしたが、コンテストにはよく出ていました。高校では物理部にクラブ局があり、私は入部していませんでしたが、自分の無線機を持っていってQRVしたこともありました。高校の無線友達は、50メガがメインで、私もIC502Aというハンディ機を手に入れ、友人と交信したり、志賀高原などに移動運用したりしました。

QSLカードは、実家から持ってきていますので、そのうち整理してみたいと思います。

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